シェーナウの想い

住民が電力供給会社を作ってしまった!
というドキュメンタリードイツ映画があります。日本語字幕付きです。
タイトルは「シェーナウの想い −自然エネルギー社会を 子どもたちに−」といいます。チェルノブイリをきっかけにしておこったドイツ南西部の小さなシェーナウ市(人口2500人)の住民運動。初めは子どもたちを放射能汚染から守りたいという一心で活動し始めました。その後いろいろな経過を経て住民グループが環境に、次世代に配慮した電力供給会社を作ってしまう!
というストーリーです。

上映会をしたいという団体を探しています。興味がありましたら是非御連絡ください。特に小さなお子さんがいて、大きな上映会にはなかなか行けないという方たちにも見てもらいたいと思っています。お子さんのいる家族を集めての小さな上映会も歓迎ですので下記のFacebook cafeシェーナウの想いまたは自然エネルギー社会をめざすネットワークまでご連絡ください。

無償の上映会をお願いしております。DVDの貸出料は頂いていません。
(もしお知り合いの方にこの映画に興味を持ちそうな方がいらっしゃったら、広げてもらえるとありがたいです。)


この映画が住民に勇気と希望を与えられることを心から祈っています。上映会では、上映後などに住民たちが話し合い、一緒に考える場があります。こうした住民同士のつながりを通して、仲間と共に次の一歩を踏みだすきっかけになればうれしいです。今後私たち日本市民が活動していく中で、様々な難関が立ちはだかっているとは思いますが、シェーナウ住民のように仲間と共に成功することを信じてやっていきましょう。


自然エネルギー社会をめざすネットワーク
http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/
Facebook cafeシェーナウの想い
http://www.facebook.com/groups/Schonauer/

チラシ

ユネスコエコパークとは

 ユネスコエコパークとはユネスコが正式に認めた持続可能な社会を実現するためのモデル地域のことを言います。このユネスコエコパークは国立公園や自然公園などとは違い、自然の保護だけでなく、人間と自然がうまくやっていくことを目指し、持続可能な地域経済が求められています。3つの地区に分けられるのがこのユネスコエコパークの特長です。3つの地区とは、中心地区(corearea)、緩衝地区(pufferarea)、移行地区(transitionarea)です(詳細は別の項で)。今回はユネスコエコパークの歴史を追ってみようと思います。

ユネスコエコパークの誕生の歴史
 ユネスコエコパークは“人間と生物圏計画(Man and Biosphere (MAB) Programme)”というユネスコで立ち上げられたプログラムの中で生まれたモデル地域です。MAB-プログラム は1968年にパリで行われた“生物圏会議”にその端を発します。この会議は63ヶ国から出席した236人の特派員と88人の国際機関(FAO(国際連合食糧農業機関)、 WHO(世界保健機関)など)の代表者による国際会議で、ユネスコがIUCN(国際自然保護連合)とIBP(国際生物学事業計画)と共に主催したものです。この当時どんどん大きくなる地球環境問題について話し合われ、自然資源の保全とその活用について、世界中で協力しなければならないこと、そして様々な学問分野にわたって取り組んでいかなければならないことが始めて国際会議の場で言明されました。この生物圏会議の20ヶ条の決議文はユネスコに向けられて発せられ、「人間と生物圏に関する国際的な研究プログラム」を始めようと呼び掛けられました。この研究プログラムは国際的な多分野間をつなぐネットワークとして環境問題と共に社会的、経済的、文化的な視点も取り上げ、特に途上国の問題に打ち込むべきものとされました。(この時点ではまだユネスコエコパーク(生物圏保護区)は話題に上っていません。)
1970年の第16回ユネスコ総会義で“人間と生物圏(MAB)”が議題として取り上げられ、長時間にわたる激しい議論を経て、そしてユネスコ総長の強い要望もあって“人間と生物圏プログラム(MAB-Programme)”は10月23日の深夜12時5分前に誕生したのです。当初MABプログラムは多分野間にわたる研究を目指していました。しかしはっきりした実施計画と資金源が無いことが大きな悩みでした。このような状況から生物圏保護区つまりユネスコエコパークのコンセプトが取り上げられたのです。(1972年にスウェーデンストックホルムで国連人間環境会議が行われましたが、この会議の内容は“生物圏会議”に強く影響を受けたものでした。UNEP(国連環境計画)はこの会議に基づいて設立されました。)
1974年MABプログラムの特別作業チームとUNEPが会議を開き、ユネスコエコパークの設置をするためのガイドラインを作り上げました。この中でユネスコエコパークの3つの根本的な役割が示されました。つまり
保護:自然資源と生態系の保護、
ネットワーク:研究と教育のための国際ネットワークの構築、
発展:持続可能な経済、環境保護、自然保護を調和した形で達成させるためのコンセプトを発展、実践すること、
です。「地区分け(Zonierung)」についても1974に合意されました。そして1976年に初めて57ヶ所のユネスコエコパークが認定され、1981年までに58ヶ国208ヶ所のユネスコエコパークが生まれました。(2011年6月30日現在 114ヶ国580ヶ所。)
 しかし初期の段階では保護の役割が支配的でした。それはほとんどのユネスコエコパークはそれ以前から国立公園やその他の保護地区として保護されていて、ユネスコエコパークの認定によってその役割が変化しなかったからです。発展の役目は無視され、研究は学術的なものにとどまってしまいその成果はほとんど共有されることはありませんでした。

ユネスコエコパークの成長
上で書いたようにユネスコエコパーク(以下ユ・パーク)は始め既にあった国立公園をさらにユ・パークとして認定したので、保護の役割に重点が置かれ、他の役割が十分達成されないという問題を抱えていました。しかし1980年代から少しずつ改善され、保護以外の役割も的確に組み込まれていきます。1983年に初めてのユネスコエコパーク世界会議がミンスクで行われました。この会議でユ・パークの多様な機能が強調された“ユ・パークのための行動計画”が作成されました。そして1995年にはスペインのセビラで2回目のユ・パーク世界会議が開催され、“セビラ戦略”を練り上げ、ユ・パークの世界ネットワークのための“国際ガイドライン”が採択されました。ここでようやく世界ネットワークのための組織的、実践的な枠組みが整ったわけです。
これ以降、ユ・パークの認定のためには満たさなければいけない最低条件が出来ました。つまり
1、3つの地区の制定(中心−、緩衝−、移行地区)
2、3つの役割の保証(保護、ネットワーク、発展)
3、10年ごとの査定(10年ごとにユ・パークの状態が再検査される)
です。この結果多くの国では自国のユ・パークの見直しがされ、一部は改善され、一部ではリストから抹消されました。2008年にはマドリッドで第3回目のユ・パーク世界会議が開催され、2008年から2013年までの期間の優先事項とその方策を記述した“マドリッド行動計画”が作られました。2011年にドイツのドレスデンで開かれたMABのICC(国際調整理事会)では気候保護に重点が置かれた内容になりました。

 次回は3つの地区の説明をしたいと思います。

ユネスコエコパーク(生物圏保護区)について

ユネスコエコパーク、生物圏保護区、Biosphere Reserve
 みなさんはユネスコエコパークもしくは生物圏保護区という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これはユネスコ(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)が認定する広い面積を持つ地域の名前です。このユネスコエコパークは最近まで日本語では生物圏保護区とか生物圏保存地域などと呼ばれていましたが、知名度がとても低くいことから2010年にユネスコエコパークという通称が付けられました。ちなみに英語ではBiosphere Reserve、ドイツ語ではBiosphaerenreservatといいます。このユネスコエコパークと他の自然保護区や自然公園との大きな違いは、認定された地域の中に住宅や会社、工場などもあることです。そしてこのエコパークは3つの区分に分けられるのが大きな特長です。その3つとは核心ゾーン、緩衝ゾーン、移行ゾーンと呼ばれています。住宅地や工場は普通移行ゾーンに分類され、持続可能な地域社会を目指した社会活動が推進されます。人間の普段の活動や一般的な農業などの経済活動が目指すべき『持続可能な社会』の中で促進されるのです(ユネスコの基準には移行ゾーンの制限や禁止は無く、むしろ地域の持続可能な経済発展が一つの目的に挙げられている。)。またこのユネスコエコパークは持続可能な社会のモデル地域として、私たちが今目指している「人が自然と調和する社会」への道を示してくれることが望まれています。
 私は先月一ヵ月間ドイツにあるこのコエコパークKarstlandschaft Suedharzドイツ国内では2009年に州から指定されていますが、ユネスコの認定はまだ)で研修をしてきました。ユネスコエコパークの活動がとても活発なドイツで、そしてこのエコパークがちょうどユネスコに登録のための申請書類を準備している期間に研修できとても幸いでした。私が見てきたことは主に環境教育の現場と地域住民との共同企画、野生動物の調査、市民団体とのコミュニケーションなどです。このエコパークの管理局の人達はとても親切で、ここで知り合った若い研修生達は生き生きとしていました。局長や部局長の話も聞けてドイツの活発なユネスコエコパークがどういったものか、どういった問題を抱えているかなどが現場で感じられて良かったです。Karstlandschaft Suedharz (カルスト地形 南部ハルツ)はドイツのほぼ真ん中に位置し、ザクセンアンハルト州の南西部のニーダーザクセン州とチューリンゲン州の州境にあるBiosphaerenreservatです。この地域にはロマネスク街道(Strasse der Romanisk)が走り、ストルベルク(Stolberg(Harz))という歴史のある木造家が立ち並ぶ素敵な街があり、日本人観光客もたくさん訪れます。この地域はその名前の通りカルスト地形で変化に富んだ豊かな風景と動物たちの棲家を提供しています。もう一つ特筆すべきことはこの地域は果樹と牧草地が一体となった土地利用が昔からされていて、桜やリンゴ、プラムなどの木がまばらに植えられた独特の景観が特徴的です。花が咲く春にはえもいわれぬような綺麗な景色が楽しめるそうです。
 次回からはもう少し詳しくユネスコエコパークの概要についてみていきたいと思います。

足るを知る

 どんな社会に暮らしたいと私たちは願っているのでしょうか?もちろん色々な視点がありますが、今回は『足るを知る』という心の面から見ていきたいと思います。環境破壊、貧困、戦争や原発事故など、私たちは様々な問題を抱えています。このまま今までしてきたように続けていけばさらに問題は大きくなり、私たちが依存している生態系は破壊され、多くの種が姿を消し、裕福な人たちと貧しい人たちとの差はもっと広がっていきます。そしてこのツケを私たちの子供たちが負うことになります。このような未来を私たちは望んでいるのでしょうか・・・?自分たちが「豊かな」社会で暮らし、自分たちが育ってきた地域社会と地域の自然、文化を未来に残して、私たちの子供も幸せに暮らしていくことを望んでいると思います。さらに同じ地球に住んでいる人たちがなるべく幸せに生きることも願われているのではないでしょうか。これらのことは今現在の私たちの幸せな生活にも深く関わってくるものだと私は思っています。
 さて上に挙げたような社会は「持続可能な社会」と言えます。ただ単にずっと循環して続いていくことが求められているだけではありません。生きる喜びや希望もこの持続可能な社会には必要です。科学技術が発展して、効率がよくなったり、新しいものを発明したりして資源が持続可能に利用できるようになったとしても、私たちと私たちの子孫が幸せに暮らせるとは限りません。持続可能な社会には資源が循環してずっと利用されることは基本的な条件です。しかし資源が循環して地域の生態系が何とか維持されたからといって、貧富の差が無くならなかったり、地域の美しい景色が壊されてしまったり、犯罪が減らないのであればどうでしょうか・・・?だから豊かな心をはぐくむ姿勢がどうしても必要になってくるのです。そのために『足るを知る』という心の持ち方がとても大切だと思います。たくさんあるのに、もっともっとと求めていては、いつまでたっても心が満たされることはありません。たとえ少なかったり、質が悪かったりしても、あることに感謝し満足する心こそが、奪い取ることをやめ心豊かに暮らす重要なカギです。『足るを知る』とは我慢することではなく、私たちが現在目指している持続可能な社会で、幸せに生きていくための心のあり方です。このような心を育てるためには感謝する心が大きな助けになります。例えば、安い賃金で大量生産された使い捨ての物を買うのではなく、丹精込めて作られた物を感謝して使い、出来る限り大切に扱うことがいいと思います。そして自然の恵みを感じられるように自然を身近に体験することも大切でしょう。
 今、私たちの身の周りには物がたくさん溢れかえっているので、あるものを我慢したり、使わないということは、無い場合にそうするよりももちろん大変です。しかしこれが私たちの今の重要な課題だと思います。また、物やお金を多く持っている人はそれを管理しなくてはいけません。盗まれたり奪われたりすることに心を悩ますことは心を不健全にするでしょう。本当に必要なものを最小限持つことが人の心を楽にしてくれるものだと私は思います。
 私たちが目指す「持続可能な社会」は『足るを知る』というような心の持ち方を一緒に組み込んでこそ始めて私たちにとって意味のあるものになります。だから満足する心や感謝する心を大切にしていきましょう。こうして私たちは、私たちが本当に望む暮らしに一歩近づけると思います。

脱成長に向けたネットワーク (持続可能な社会のために)

 先日黒い森(シュバルツバルド)にある山小屋で行われた合宿に参加してきました。

若い研究者が集まって、脱経済成長に向けたネットワークを創っていく計画について話し合うための合宿でした。持続可能性という大きなキーワードのもとに、現在の社会情勢や経済システムに疑問を持ち、色々な分野で研究している若者が、これからの社会のために研究だけでなく実際に活動していこうとドイツ全国から集まったものです。このネットワークを通して、お互いの研究を助け合うと同時に、実際の活動につなげていこうとしています。山小屋で行われたことは、ゲームを交えた自己紹介から始まり、このネットワークを初めに立ち上げた人の一人が会の趣旨について説明したり、どのように今後の活動を進めていくかを話し合ったり、自分が実際何をこれからしていけるかを一人づつ発表したり、このネットワークの次のステップについて具体的に話し合ったりしました。話し合い、討論の間には自分たちで料理をしたり、散歩に行ったり、農場の見学に行ったり、宿泊代をなるべく抑えるために(と実際に体を使った仕事をするために)小屋の周りの整備をしたり、農家のお手伝いをしたりしました。
 この合宿に参加した人たちは非常に素敵な人たちでした。未来に向けた希望と情熱を持ち、実際に始めていこうとしている若者です。一人一人がそれぞれ未来の社会について考え、お互いを刺激し合ってさらに熱意と希望を膨らませているように見えました。印象深いのはみんな明るく、会議も冗談をところどころ交え陽気な雰囲気だったことです。現在の状況を嘆いているだけでなく、自分たちの明るい未来のために喜びを持って仲間と楽しく歩んでいこうとする姿を見てとても感動しました。何も根拠はありませんが、彼らの運動が成功することを私は確信していますし、今後のドイツの大きな社会の流れを作って行くことと思います。
 さてこのネットワークはドイツのものですが、私は日本人として日本にも彼らのようなネットワークを作り、彼らや他のネットワークと繋げていきたいと思っています。日本にも現在の経済システムや社会情勢に疑問を持ち、持続可能な社会について日々考えている若者、研究者はたくさんいます。こうした人たちが集まり、お互いから学び、刺激し合っていくことはとても意義深いと思います。独りで考えるよりも、同じ目的を持った志のある仲間と共に歩んでいく方がはるかに創造的で良い結果を生み出します。そして地域通貨トランジションタウンなどの地域の実際の活動と結びつき、それらをお互いに繋げていけば、持続可能な社会に向けた大きな流れを作れるでしょう。今私たちは立ち止まっていてはいけない時です。今こそ新たな一歩を踏み出して、自分たちの幸せな生活のために豊かな社会を私たちの手で作り上げていかなければならないと思います。
 私が上に書いた趣旨に賛同される方は私までメールでご連絡ください。先日の合宿で日本ネットワークを立ち上げることを思いついたので、まだまだ何も具体的に考えていませんが、私たちのためのネットワークを一緒に考え創っていきましょう。来年春頃に日本のどこかで集まって第一回目の会議が出来るといいと思っています。

参照:Netzwerke Wachstumswendeのページ(ドイツ語)http://wachstumswende.de/

森の幼稚園の先生にインタビュー

 森の幼稚園の先生Günther Widmann(グンター ヴィッドマン)にインタビューをしました。グンターの自宅で、焼いて持って行った人参ケーキを食べながら、長時間色々な話をさせてもらいました。少し長い文ですが、様々なことを話しているので読んでみてください。以前の記事も合わせて読んでみてください。

お:及川(インタビューアー)、う:植木(インタビュアー)
グ:グンター

お:10年間森の幼稚園であなたは働いてきたわけですが、森の幼稚園とあなたはどのように変わりましたか?
グ:確かに私は変わったと思います。より意識的に仕事をするようになったと思います。自分で決定していかなければならないので、そうなったと思います。仕事にさらに打ち込むようになりました。以前働いていた幼稚園では私はそこの長ではなく、一人の先生でした。
子供に関する仕事が増えていくと、幼稚園外での事務的な仕事が増えていきます。一緒に働いている先生や研修生に対する責任がありますし、保護者会や親御さんとの話し合い、フライブルク市の関係機関とのやり取りなどです。総じていうと私の森の幼稚園の仕事以前の幼稚園と比べてどんどん面白くなってきました。

お:あなたは今の森の幼稚園Fuchsbau以前はどの幼稚園で働いていたんですか?
グ:13年間ヴィーレ(フライブルク市内)の両親が作った幼稚園です。8年間は半日のみので、4年間は終日働きました。
お:どのくらいの規模の幼稚園だったんですか?
グ:一グループで16人の子供たちがいました。先生は全部で3人で、1人が1日中、あとは2人で交代で働いていました。この幼稚園は1日中開いていて8時から17時まででした。

お:どうして幼稚園で働こうと思ったんですか?
グ:私の学校での勉強の中心テーマは幼稚園での教育ではありませんでした。私のテーマは社会復帰でした。ですから私は社会福祉が専門で、例えば刑務所に入った人や、薬物依存の人、ホームレスのための教育でした。学校を卒業し実際に働いてみたら、自分はそもそもこういった分野の人達の為に働くより、子供たちと一緒に働きたいという思いが強くなったんです。それで色々な幼稚園に応募したんです。

お:どうして普通の幼稚園ではなく“森の”幼稚園なんですか?
グ:初めに働いた幼稚園は普通の幼稚園でした。でもそこの幼稚園では両親とも話し合いを持って、全てのことに関して、時には大変なこともありましたが自分たちで話をして、どのようにしていくかを決めたんです。ですから全く“普通の”幼稚園とも違っていました。この幼稚園と今の森の幼稚園の両親の役割はかなり大変なものでとても高いレベルのものです。普通の幼稚園と比べてです。

お:両親が幼稚園のことにかかわるのは普通ではないんですか?
グ:普通の幼稚園は大抵年に1回から2回しか保護者懇親会はありません。最近の州から幼稚園に関する法律に関する指導要綱が出たので、両親の役割がもっと重要視され、年に3回になっているかもしれません。

お:話は戻りますが、どうして“森”の幼稚園を作ったんですか?
グ:それはいい質問ですね。どうして、どんな動機で始めたかということを説明するとても重要な質問です。これはその人の生き方に関係することですね。どうして、グリーンピース環境保護団体)なのか?どうして子供なのか?なんでもそうです。私の場合は、子供の時に自然と深く関わって育ってきたからだと思います。自然との繋がりを今でも覚えています。自然との繋がり。“Naturverbunden”いいドイツ語ですね。私が小さい頃、家には犬がいました。私たちはよく森に犬と一緒に出掛けたものです。釣りにもいきました。大人になると、人はたまに子供の時のことを思い出します。これは無意識ですが、意識されもしますよね。これが一つの動機だと思います。私が成長してきたような事と関係しているんだと思います。

お:どこで子供時代を過ごしたんですか?
グ:9歳までルーマニアで過ごしました。そのあとミュンヘンに行きました。

お:そうするとあなたは森の幼稚園を作ったはっきりとした理由はなかったんですか?
グ:いま言ったのは心理的な理由です。実際的な理由は、自分の子供との経験からです。私の二人の子供は森の幼稚園に通っていました。私は毎日子供たちを送り迎えしていて、そこで森の幼稚園がうまくやっていけるということ、何が子供たちにとって必要なのかを見ることが出来ました。とても気に入ったんです。さっき言った自分の精神的な背景と、自分の子供たちを通した実際の経験が、私がどうしていくべきかということの考える助けになりました。私自身も森の中が好きですし、自然も好きです。そして子供が好きなので、森の幼稚園という考えに至ったのです。自分自身で独立してやれば、自分でやりたいことを決定できますしね。こういう2つの理由がありました。

  • Waldwagenという車輪の着いた車につなげて運べる小さな小屋についての話-

お:あなたがやっている森の幼稚園にはWaldwagenがありますが、あなたの子供が通っていた森の幼稚園はどうだったんですか?
グ:私たちのようなWaldwagen(車輪のついた小屋)は無く、木でできた山小屋がありました。ほとんどの森の幼稚園にはWaldwagenか山小屋があります。そこで寒さと雨をしのげることが出来ます。
こうやって私は子供たちの親に、これが私たちの森で、私はこういう人で、そしてここに小屋があります、と説明したんです。もしこの小屋(Waldwagen)がうまく機能しなかったら売ろうと思っていました。わかります?

お:はい。こういう小屋は重要ですよね?
グ:そうですね。冬は特に重要です。2週間くらいマイナス10℃くらいになる事があります。とても厳しい寒さです。2、3時間ならまだ大丈夫ですが、4時間もしくは5時間にもなると大変です。たくさん着込んでも足と手は冷たいんです。

う:あなたは二人の子供を森の幼稚園に通わせて、そこで子供にとって森の幼稚園はいいものだと感じた、と言いましたが、どういうことですか?
グ:人生に大切な事を学べることです。生命に対する尊敬と尊重を学べます。全てのそれぞれの生き物に対してです。昆虫、クモ、ヘビ、全部に対してです。生き物を触る感触、
怖がらないでつかんだり、冷たいとか温かいとか、春の花が咲いたら花の香りを嗅いだり・・・自然の中で生きるということはとても感覚的です。目、耳などを使って、鳥や花、香り全部そうです。そして同時に体の感覚(運動神経)を発達させられます。体育館での体育の授業でも学ぶことはできます。でも自然の中でのように多くを学ぶなんてことはできません。これが大きな違いです。建物の中というのは境界があります。でも自然というのはそもそも無限の拡がりを見せてくれています。子供は自然の中で「あの小川を飛び越えたいな」もしくは「飛び越えたくないな」っていうことを自分で判断します。それぞれが判断するんです。子供が自然の中で“喜び”を持つということはとても大切な事だと思います。健康に成長できるということも大切な事です。体と、感覚の成長です。

お:他に何か普通の幼稚園に比べて良い点はありますか?
グ:自然の中では人は理論的にではなく実施的に学びます。自然は多様で無限です。季節、温度、雨、晴れなどの天候などの総合的、全体的なものに関係します。
私たちの文明はドイツでも日本でもどんどん技術的になっていっています。そうして人間はどんどんすべきことが少なくなっています。食事はまだ自分でとらないといけませんが、50年後にはそれも自動でできるようになるかもしれません。でも子供というのはもっと動かないといけませんよね。これら二つのことは反対の方向を向いています。
お:反対の方向っていうのはどういう意味ですか?
グ:今の時代、幼稚園では子供たちはどんどんハイテクな物の中で過ごしています。例えばコンピューター。10年前くらいから幼稚園でもコンピューターを使った教育が有効ではないかという話が出てきました。私自身はこれには反対です。意味をなさないばかりか、害すら与えると思います。しかし現代的な教育学者(教育者)の中には「もちろん幼稚園にもコンピューターは必要です」って言う人もいます。もっと歳を取ってからでもコンピューターは出来きます。70年もの時間があるんです。子供にとっては遊ぶということが大切です。遊んで、遊んで、遊ぶんです。コンピューター無しで。
さて森の幼稚園と普通の幼稚園との違いですが、森の幼稚園にはおもちゃはほとんどありません。森の幼稚園のおもちゃは、森にある全ての物です。普通の幼稚園にはどんどんハイテクな物が置かれるようになってきています。森の幼稚園はそれに逆行する方向なんです。

ここで一度休憩

お:さっきまで森の幼稚園の良い点を話してもらいましたが、短所はありますか?
グ:短所はそもそもないと思います。でも子供の中には自然とまだうまくやっていけない子もいます。臆病な子供や、母親のもとにずっといたがるような、つまりまだ守ってくれるものが必要な子供です。こういう子供は外に長くいるのはあまりよくないのです。私の息子もそういう子供でした。1年間森の幼稚園に行きましたが、あの子には特に気に入った様子ではありませんでした。それでバルドルフ(シュタイナー)幼稚園に行ったんです。
そこであの子は花が開くように元気にやっていました。個人差があるんですね。でもこのこと1つ取って森の幼稚園が悪いというのは間違いです。森の幼稚園が良い悪いという問題ではなく、大抵の子供は自然を肯定的に(好ましく)見ます。保護を必要としている子供は少数で、珍しいのです。

お:どんな問題が森の幼稚園にはありますか?
グ:普通幼稚園ではいつもテーマにあがる「暴力」と「ケンカ」がそうです。暴力をふるう理由は色々あります。動機は色々とあるので、親たちとそのことについて話をしなければいけません。そのために私たちはしっかりと子供たちを見ています。たとえば、ただ単に注意を引こうとして少し強くたたいたとします。この子はでも友達をたたきたかったわけではありません。こういう暴力を子供たちは不適切な関係性の中(コミュニケーションの仕方)で学んでしまうことが多くあります。見本があるんです。

お:いったいどこから学ぶんですか?
グ:それはちょっとはっきりわかりません。テレビからかもしれませんし、兄弟や近所の子供たちとの争いからかもしれません。

お:他には何か問題はありますか?
グ:子供にとっても幼稚園の中で一つのグル―プのなかでやっていくということは難しいことです。不満があって良く泣きます。全く違う問題もあります。親と離れるのを嫌がる子供がいます。初めの1週間はいつも泣いています。ずっと親の元にいたいんです。逆に親が問題を抱えていることもあります。子供と離れるのが辛いんです。それでその気持ちが子供にも伝わってしまって、今度は子供が苦しんでしまいます。親が不安を感じていると子供が泣いてしまうんです。

お:どうやってこういった問題に対処しているんですか?
グ:新しく子供が来たら、2、3週間たってから誰がその子の面倒を見るかを話し合うんです。その子がどの先生の所に行くかを見るんです。もしあなたの方によくいくようなら、あなたがその子の面倒を見るのが合っていると考えます。なぜならその子供はあなたのことを他の先生よりも好いているだろうと予想できるからです。親がその子を連れて来たら、あなたがその子を受け入れるんです。これは私たちの経験からの教育上の判断です。もし誰を一番好いているかがはっきりしなかったら、その子に「誰の所に行きたいの?」と聞くんです。子供はもうすでにそういうことは解っているんです。

お:暴力に対しては何か対処法はありますか?
グ:私たちはなるべく子供たちをよく見るようにして、問題の現場のなるべくちかいところにいるようにしています。子供の近くにです。そしてよく見るんです。もし酷い暴力をふるうようならその間に入ってその子をおさえます。でも「君はこの子と遊びたいの」と聞いてみます。「この子は何もしてないでしょ。何でたたくの?」と、大抵が遊びたいだけなんです。「一緒に遊ぼう。僕と一緒に来て。」って言えばいいんだよと教えてあげると、「あーそうか」と言って一緒に遊ぶんです。このように単純なことが多いですね。

お:10年前もこういう問題はあったんですか?
グ:いつでもそうですよ。人間が生まれてからずっとね。

う:現代特有の問題ではないんですか?
グ:いいえ。そうは思いません。
日常の教育では子供の近くにいることが大切です。子供たちは下にいて、自分達は上でピザを食べながら喋ったり、映画を見るというようなことはしてはいけません。そうではなくいつも子供の近くにいなければいけません。そしてよく見ること、話を聞いてあげることです。それで友達と何かあった時に、その子供たちを助けてあげることができるのです。これはとても重要なことです。私たちは子供たちの通訳です。日本語とドイツ語の通訳ように、子供の振る舞いを通訳してあげるんです。コミュニケーションにおける通訳です。

お:違う質問ですが、先生は子供に対してどう接したらいいと考えていますか?
グ:難しい質問ですね。でも簡単でもあります。
先ず始めに大切な事は“心”です。一番大切な事です。子供を愛してあげないといけません。子供と喜んで一緒にいることもとても大切な事です。そしてリラックスしていないといけないと思います。ユーモアに富んで、喜びを持って何かをする、そして誠実に子供たちに接しないといけません。これが大切な先生の特性だと思います。その次に重要なのは他の先生たちとうまくやれるということです。先生たちはいつでも子供たちのことについて話し合う必要があります。でも子供たちがいない所でですよ。もし子供がそこにいるときは、その子供について子供も一緒に話し合います。
親が子供を向かいに来ると、親はすぐに自分の子供がどうだったかを知りたがります。もし長くなるようならあとで電話で話します。子供がいない所でです。もし友達のAさんについて話をするのに、そのAさんがいるところで、Aさんが普段どうなのか話をするのは変ですよね。敬意がありませんよね。

う:他にどんなことが先生には大切ですか?
グ:私たちが一緒に働いていたとしましょう。子供たちが帰った後に、もう一度その日のことを一緒に話します。何をどの子と一緒にしたか、子供たちに対する接し方は良かったか、そういうことについて反省するんです。自分たちの行動、接し方について反省するんです。これは教育においてとっても重要なことです。幼稚園などの教育施設でとても大切ですが、でも家庭での教育でも大切です。父親と母親が自分たちについて話し合うことです。一人で反省するだけでなく、一緒に解決していかなければいけません。これは心の持ち方の調整に必要です。精神的な姿勢です。他の人と話すことによって色々な見方が出てきます。それぞれ違った考えを持っているので、違って見えるんです。

お:森の幼稚園は環境教育にとってとても大切だと思いますか?
グ:もちろんです。森の幼稚園は自然に対する意識と愛情に一番大切なものです。子供たちは3,4年の間でゴミは森に置いて帰ってはいけないことを学びます。例えばバナナの皮やリンゴの芯はコンポストに行くということを子供の時にもう学ぶんです。自然のことを気に掛けるということは森の幼稚園の子にとっては当たり前なんです。(人間の)基礎ですね。
ゴミは我々の文明が持つ問題です。核廃棄物やそういうものだけでなく、ごみ自体にもあります。

植木:でも核廃棄物と普通のゴミは根本的には同じところからその問題が起こっているんじゃないですか?見えない所に処理されているということに。
グ:核廃棄物、原発の問題は進歩万能主義から来ていると思います。進歩万能主義とは例えば技術の発達で家の中の家事は新しい製品によってどんどん簡略化してきています。100年前はそんなものなかったですよね。私たちの社会はこういった技術の発展がよいことだとして進んできました。しかしこういった技術の発展とは反対に、人間の頭と心は逆に退化しています。そういったことにこの原子力の問題があると思います。安全かどうか全くはっきりしないのに、経済的、つまり金銭的な利益が大きいからただ建てられてしまったのです。

お:自然保護というのはそもそも重要だと思いますか?
グ:もちろんです。

お:どうしてそう思うんですか?
グ:私たちは選挙で色々な政党を選ぶことが出来ます。しかしもし政府が自然保護を重視せず、人々も自然を大切にしなければ、自然は全部破壊されてしまいます。そうするといつか人間は生活できなくなります。放射線で汚染されたら、例えば海や土が放射能汚染されたらもう漁民や農家の仕事は無くなります。あってはならないことですよね。これはもう国ごとの問題ではなく地球規模の問題になっています。こういう言葉があります。「地球規模で考えて地域で活動する。」これは15年来のドイツの政治的モットーです。とてもいいと思います。

お:自然保護、環境保護に関係する問題で何が一番大きな問題だと思いますか?
グ:教育分野だけが一番重要だということは思っていませんが、教育の分野で重要なことは、子供たちが自分たちが住む所を気にかけ、大切にすることだと思います。そういう意識を子供たちが持つことです。地球の成員の一部として全てのことを大切にしないといけません。もしこういう感情が子供のうちに宿ったならば、この子が大人になれば同情心を持ってすべてものを大切にするでしょう。これが一番大切な事だと思います。そしてこれは教育的な大きな課題です。

お:環境教育はより小さい時から始めたほうがいいんですか?
グ:そうですね。小さい子供は自然に体で実践し覚えていきます。でももう少し大きくなると、どうして?と尋ねるようになります。そういう時は説明してあげます。例えば水の循環-水分が水蒸気になって雲になり、それが雨で降ってきてまた川の水に戻る-を説明するとき、小さい時に子供が経験していたら、より自然にそしてより明確に理解できるのです。私は、子供たちがこのような自然の循環(の体験)を通して自然との関係を考え理解していくことが大切だと考えています。

お:脱成長という言葉を聞いたことはありますか?どう思いますか?
グ:はい。そういう考えを聞いたことはあります。
全ての工業国は資本主義の原理にもとに動いています。目標は成長をずっと続けることです。ずっとです。どこまで続けるんでしょう?どこが終わりで、どこに向かっているんでしょうか?ドイツやいくつかの国ではもう人口は増えていません。逆に減っています。日本も多分似ていると思います。人口が減っているのに、より多く生産、活動するなんていうのは、非論理的です。何のためにですか?私はこのことについて意味ある事かどうかとても疑っています。良くないですね。政治的に違う目標を掲げないといけないと思います。量より質にもっと目を向けないといけないと思います。

お:貧困国についてはどうですか?
グ:先進国は縮小もしくは今の状態にとどまり、貧困国はいくらか成長していくのがいいでしょう。そうして埋め合わせをするんです。貧困国の経済活動の条件は裕福な国に比べ
ずっと不公平でした。例えば公正に扱われている(フェアトレードの)コーヒーにもっと多く支払ったりするんです。ただ単に裕福な国が「たくさんお金をあげているのに、それでもうまくやっていけていない」というのは不公平だと思うんです。資本主義的(お金中心)な世界の経済(の力)関係があるんです。よくないですね。
お:私はこういう世界的な経済の前提条件、システムが不公正と思っています。
グ:そうですね。
お:私たちはこれを変えていかないといけませんが、私はまだどのようにしていったらいいのかまだ分かりません。

お:あなたの理想の社会とはどんなものですか?
グ:難しい質問ですね。
終わりの状態は想像できます。それぞれの人が他人に敬意を払い、子供が社会の中で一番重要で、でも年寄りも大切にしないといけません。ベトナムには老人ホームが無いと聞いてます。年寄りをどこかに追いやる所が無いということです。人が常に一緒に暮らしていくという目指すべき姿があるのだと思います。不安の無い平和な生活。別に絶対車やテレビを持たなくても幸せでいられえると思います。持ちたかったらそれでもいいでしょう。大切なのは共に生きることを学ぶことです。違う考えや意見を持った人や、違う宗教の人と共に平和に暮らすことです。これが、我々の未来の平和な生活につながるただ一つの道だと思います。頑なな考え方の解放と、資本主義的な経済の見方をどうにか変える必要があると思います。社会構造ももちろん変えなければいけません。

お:あなたの人生にとって大切な事とは何ですか?
グ:喜びを与えてくれることをすることですかね。そして自分がそれを出来ることです。私はこの森の幼稚園の仕事にとても満足しています。なぜなら正しくやっていると思うからです。でも人生の成長の過程で満足できない時期もありました。しかし全体的にはこの仕事ができ、実際うまくいっていることをうれしく思っています。

お:もう一つ質問ですが、あなたにとって幸せとは何ですか?
グ:幸せとは私が思うに、個人個人が自分自身と(の中に)和平を持つことだと思います。安らかな中で生きるということです。つまり満足しているということですね。自分自身と調和の中にいることです。これが基礎になります。この前提があって他人とも一緒にうまくやっていけるんです。もし自分自身に不満があったら、たとえば仕事が多過ぎたりして、そうしたら自分の子供とうまくいかないことに気が付きます。だから先ずは自分のことに注意を向けないといけません。

お:どうやっているんですか?
グ:常にはできていません。私はいつも自分自身に対して要求が多い(高望みしすぎる)んです。目標が多すぎると、やることはたくさんあるけど時間が足りなくなります。一日24時間しかありません。それですぐ不満を覚えるんです。だから自分とうまくやって、自分を信じることです。
もう一つ私の幸せについて例をあげます。自転車で走っていて、子供たちのことや自分のことで悩んでいるとき、突然イエス(・キリスト)が私に「こうですよ」と啓示するんです。ある子供が何か問題を抱えているとします。それについて私は「何ができるだろう」とじっくり考えていたとします。そうするとアイデアが浮かぶんです。それで私は「神様ありがとうございます。あなたが私にそう示してくれて。」と言うんです。こういうことがたまにあるんです。インスピレーションですね。これが私にとっての幸運です。

お:インスピレーションを感じた時にあなたは幸せだと感じるんですね?
グ:そうです。
お:でもそのインスピレーションが実際正しいかどうかなんてわからないじゃないですか?
グ:いや正しいんです。はっはっは(笑い)。それが正しいというとても強い直観があるんです。

う:色々な人がそのようなことを言っていますね。私もインスピレーションを得て仕事をしたいと思っているんですが、どうやったら神様からインスピレーションを得られるんでしょうか?
グ:いつも神様とつながっていることが大切だと思います。そして頑なな態度ではなく、考えを柔らかく持っていないといけません。自分が間違っている、何かおかしいということも考えないといけないということです。


●ここから植木さんが主に質問
う:あなたは以前「私の教育は子供から教わりました。」と言っていましたが、どういう意味ですか?
グ:一つ例を出しましょう。先日ある子供が、この子は今ある友達をとても好いていて、その友達の所へ行き「(もっと一緒にいたいから)あなたも今日の午後ここに残るの?」って言った時に私はとてもうれしかったんです。子供が喜びを表現して、伝えたんです。小さなことですがとても素敵なことです。
う:でも子供から学ぶということとどういう関係があるんですか?
グ:大人がこういう子供の行為、喜びを相手に伝える、お互いに意思を通わせることを見たら、こういう素晴らしいことは子供から学べます。あと、例えば子供がケンカしていて、それを見ているとします。間にはいり、話をしないといけない時ももちろんよくありますが、でも子供たちだけで解決できることもあるんです。これは間に入るよりも全然意味がありますね。だからそこから学べることは、大人として、教育者として受け身でいることが大切で、それでしっかりと見守ること。私はどうやってこのケンカが始まったのかわかりません。自分たちだけで解決出来たら素晴ですね。こうして子供たちは自分たちで問題を解決できるんだということを学べるんです。

う:親たちとうまくやっていくことはとても大変だと思いますが?
グ:大変ですね。でも全体的にはここの森の幼稚園の親たちはいい親達です。森の幼稚園に連れてくる親というのは、よく考えている親達です。それで一緒にやっていくことはうまくいっています。
親達との共同作業、例えばフリーマーケット、秋の祭り、クリスマスマーケット、子供について話し合うこと、この仕事は大変ですね。でも親と一緒にうまく仕事をすることは重要です。もしある親が「グンターは酷い人だ」って言っていたら、親たちは、自分の子供に普段グンターは酷いことしているんじゃないかと妄想します。だから親たちと先生たちとのハーモニーが大切なんです。

う:森の幼稚園をはじめてからどんどん緊張状態(楽しく)になってきたと言いましたが、緊張というのはポジティブな意味ですよね。私も将来自分で独立して働いていきたいので、もう少し詳しく聞きたいのです。
グ:そうです。ポジティブな意味で使いました。独立して自分が中心になってやっているので、そしてやらなければならないのです。スポーツでも試合中の中心選手というのはいつもこういう緊張状態にあると思います。
何かを始めようとしたら、先ずそれを既にやっている人、あなたと同じような考えを持った人に色々と話を聞いくことが大切です。実際にもうその分野で働いている人です。始める前にそういう人たちの経験談を聞くことです。しかしもっと大切なことは自分の考えを持つことです。もし自分の考えがなかったとしても、人と話すことによって、これはいいと思う、これはあまり感心しないということがわかってきます。でももうあなたは自分の考えを持っているんじゃないですか?
う:はい。
グ:あとは教育に関する本を読むことですね。色々な考えが書かれているからです。これは大切な事で、私にとっても重要な点でした。


お:子供が大きなけがをしたことはありますか?
グ:いいえ。
お:どのように注意しているんですか?
グ:子供の近くにいることです。あと幸運を持っていることです。
お:日本では子供が外や森に行くと、親が非常に心配しますが、ドイツではどうですか?
グ:ドイツでもそうです。
お:どのように親に説明するんですか?
グ:今日では人は思考にふける傾向があります。そしてみんな冒険をしたいと思っています。しかしみんな安全も同時に保障してもらいたいのです。わかりますか?これは両立しないですね。本当の冒険は危険があるということですよね。
お:でもあなたは「子供にも外は大きな危険がある」って言いたいんですか?
グ:いいえ。教育者としての私の役割は、森をよく観察することです。春になって木々が葉を開き始めると、どの木が死んだ木かわかります。この枯れた木は次の瞬間倒れる可能性があります。私の上にかもしれないし、子供の上にかもしれません。よく観察していないで森の中を行くと、頭の上に倒れてくるかもしれません。でもよく観察して、自分でそういう木を切り倒すか、森林官に頼んで切ってもらうかします。それが私の責務です。子供たちを危険から守るということですね。2つ目には子供がどういうタイプの子かをよく知ることです。その子供が向こう見ずな子であれば、危険が多いでしょう。どーんとぶつかったり、勢いよく転んだり、自分のこと、体をあまりコントロールしない子供です。これは大きな教育上の課題です。でも多くの子供はそのような子供ではありません。ですからどの子どもがどれだけ安全か、自分で安全さを確保できるか、どの子が向こう見ずな子供かどうか、ということを見極めなければいけないのです。森の中では、木が倒れてきたり、水分を多く含んだ重たい雪が落ちてきたり、枝が落ちてきたり、嵐が来ても木は倒れます。こういうことを見ることが私たちの仕事です。そうしないといけませんが、でももちろん予測しづらいことはあります。そういう意味で幸運というのも大切なんです。
幸いなことに私の幼稚園ではまだそういった大きな事故は全く起こっていません。
私の個人的な意見ですが、森の幼稚園では普通の幼稚園より危険だとは思いません。
う:普通の幼稚園の中ではそんなにけがをしないんじゃないですか?
グ:いいえもちろんありますよ。下に落ちたり、そこらじゅうにあるものです。

う:森の幼稚園の子供たちはより感覚がすぐれていますよね。
グ:彼らは普通の子供より訓練されています。色んなもので練習をしているんですね。そして森でもし転んだとしても、コンクリートの上ではありません。もう少し柔らかいところで転ぶんです。

う:私も将来自然学校のようなものを田舎に持ちたいと思っていますが、農業と絡めてやっていこうというアイデアを持っています。
グ:動物は子供と治療教育にとって、とても大切です。もしある子供が精神的な問題を持っていて、例えば不安を強く感じる子供がいるとします。こういう子供は動物の世話をすることで学ぶことが出来ます。自分は動物に何かを与えてあげることが出来るんだ。食べ物を与えてあげられる。きれいにしてあげられる。動物の病気を治してあげることも出来る。とても大切な点です。
う:自信が持てるようになるんですね。
グ:はい。そういうことを通して子供は成長するんです。精神的に。


お:精神的に尊敬する人、良く読む本の著者は誰ですか?
グ:理論分野で私が深く感銘したものはあります。スイス人とドイツ人が書いた本(Erziehung zum Sein)です。ドイツ人はレベッカ・ビルド(Rebecca Wild)、スイス人はマウリシオ(Mauricio Wild)と言います。この夫婦はエクアドルに幼稚園と学校を建てました。本がいくつかありますが、彼らは姿勢、心構えについてとても詳しく書いています。もう一つはルドルフ・シュタイナーの本、あとマリア・モンテスソーリの本は教育分野で重要なものだと思います。この3つですね。初めに挙げた本を私はとてもよく読みました。彼らほど子供に対して敬意を払っている人を知りません。でも残念ながらこのエクアドルのプロジェクトはもうやっていません。10年前までうまくいっていたんですが、どういうわけかもうなくなってしまったんです。教育上の考え方がとてもいいと思います。

お、う:長い時間お話してくれてありがとうございました。
グ:どういたしまして。
終わり


参考:グンターの森の幼稚園(Fuchsbau:キツネの家)(ドイツ語)
http://www.waldkindergarten-freiburg-kappel.de/index.html

銀行を替えよう

 先日の日曜日にブライザッハの脱原発デモに参加してきました。この日は小雨も降り、気温も冬並みに寒く風も強い一日でした。それでもこの日ブライザッハのデモに集まったのは千人を超えていました。
 デモ行進の前に14、5歳の女の子二人がみんなの前で話しをしました。どんなことを言うのかなと思っていると、思いがけないことを訴えたのでした。それは、「原発の無い社会にしていくために私たち一人一人が出来ることは、銀行を替えることです」、と寒い中“Atomkraft Stop”と手書きで書いたT-シャツを着て話したのです。原発に融資している銀行から、環境や市民にやさしい銀行へ自分の口座を変更し、自分のお金が原発に使われないようにしましょうと訴えたのです。これはドイツだけでなく、日本でも他の国々でもできる簡単な脱原発への行動だと思います。
 あまり考えず銀行にただお金を預けていると、自分のお金が自分の望んでいることと全く反対のことに使われているということがあるのです。どうせお金が使われるのなら、環境にやさしい事業であったり、社会的弱者に活用されるようにしたいものです。今回は思いがけず、この二人の可愛い女の子たちの話を聞いて「銀行とお金」について改めて考えさせられました。