幸せな生活

チェルノブイリ原発事故のことはみんなが知っている。1986年4月26日、旧ソ連領のウクライナで起こった最悪の事故だ。当時、放射能の雨が降るといって雨に当たらないようにと小学校の先生に注意された。
 日本には資源が少ない事も小学生でも知っている。だからこう言う、自分達に必要なエネルギー源を他国に依存しなければいけないと。もしくは原子力発電に頼らなければいけないと・・・。原発化石燃料から得られる電気で僕達はいったい『何を求めて』いるのだろう? 私達の現在の経済活動、企業活動をそのまま続けていくのに多くのエネルギーが必要だ。豪華な住宅、燃費を考えず速度とデザインのみを追及した車、遠路はるばる来た珍しい食材など、付加価値がついたものや娯楽にこれらのエネルギーの一部が使われている。便利さや、より高度なサービスを普段の生活の中で当たり前のように求めていると言える。
原発付近に住む住民に白血病患者が多いことや、原発からの排水に多くの放射能があったこと、原発作業員の被爆についてはよく報告されている。豊かな“幸せな生活”を目指してより多くのエネルギーを求めた結果が原発事故やこのような悲劇であるならば、私達が望んだ事と全く正反対の結果に陥っているのではないか。エネルギーを求める事で、幸せな生活や生命までも失う危険性があるのだ。本末転倒でばかげた話しであるが、今の現状はそう言う状態なのではないか?もう一度自分達は『何を求めて』エネルギーが必要なのか考えなければいけないと思う。それには先ず"幸せに生きる"とはどういうことなのかを考えなければいけないと思う。それぞれ一人ひとりが、家族が、地域がそして国や世界がこのことについて考えることが出発点である。この根本的な未来像が僕達の行動や社会の政策を決定する基礎である。"経済"が、"エネルギー"が大切なのではなく"幸せに生きる"為の経済やエネルギーが必要なのだ。