野鳥の子育て

今年の5月と6月に私は自営(職業として)で活動している自然保護家のところで実習をしました。今日はその実習を通して自分が発見したことを書きたいと思います。この自然保護家のクリスチャンの主な取り組みはSteinkauz(コキンメフクロウ)と言う小さな可愛いフクロウとWiedehopf(ヤツガシラ)という奇抜なとさかを持った渡り鳥の保護です。これ等の希少になってしまった野鳥の生息場所の手入れが彼の仕事の大きな部分を占めています。管理している土地の草を刈り、刈った草をまとめてワイン農家に(肥料として)引き取ってもらうという一連の作業がその中心をなしています。草を刈ることによって野鳥が餌(ネズミや幼虫、モグラ、アリなど)を見つけやすいようにしてあげ、そして余分な養分をその土地から取り除くことによってその土地に昔から繁殖していた植物が再びそこに根づくように助けてあげます。さてそんな仕事を手伝いながら私はよく木にかかっている鳥の巣箱(セメント制)を覗き見しました。この巣箱には大体がスズメかシジュウカラが住んでいて、この時期は交尾、抱卵、子育ての季節で鳥たちはまさに大忙しといった感じです。

人間の社会と違い自然の世界は厳しいもので親鳥のうち一方が何らかの原因(猛禽類に食べられたり、交通事故など)で死んでしまえばもう一方の親はその卵、子供たちを諦めざるを得なくなります。メスが抱卵と生まれたばかりの子供たちを温めている期間は、オスが餌をメス(と子供たち)のために運んできて、子供たちがある程度大きくなるまでオスのこの重要な役割は続きます。この間にオスが死んでしまえばメスと子供たちはただ飢えるばかりなので、メスはその卵、子供たちを諦めないといけないというわけです。子供たちが大きくなるとメスもオスと一緒に餌を取りに巣と餌場とを目まぐるしいほど往復します。実習の期間中まだ毛が生えそろっていない、目も開いていないヒナを何度も見ました。産毛は非常に繊細で、ヒナとヒナの周りの世界との境界線をあやふやにしています。生まれたてのまだ成長しきっていないヒナにはそこに確かに一つの命が宿っている訳ですが、そんなヒナたちを見ていると、周りの自然との境界がはっきりしない、一つの個と周りの自然との中間に位置しているような感覚を受け、何とも言いようがない深い感動を覚えました。
私が今回気付かされたことは、鳥の世界には鳥の生き方があり、それが何だか人間と似ているなあと感じました。人間も子供は生まれるまで母親が胎内で大切に守り、生まれてからは(長い歴史の中でそうだったと思いますが、)母親が主に子供を肌から離さず抱いて育てます。父親は家族が食べていけるよう働き、奥さんの子育てを助けます。不思議なことに鳥たちはこれを親達が自分たちにしてくれたように自然に(本能で)でも必至にやっていく訳ですが、長い進化の過程でこのような"本能"も備わってきたのではないかと勝手に想像します。さて、それでは人間はどうなのかというと、子育てという問題を見ると、現代は大きな問題を背負っていると思います。自分の子供を愛せず、幼児虐待をしてしまう親のニュースがあとを絶ちません。その原因は色々あるようですが、夫が仕事で忙しく、奥さんだけに子育てを任せているだとか、元々自分が親からそういう虐待を受けていただとか、核家族になり、長年引き継がれてきた子育ての知恵が伝わらないだとか、そのためにおじいちゃんおばあちゃんからの手助けが少なくなっているだとかがあると思います。原因はともあれこの幼児虐待という社会現象はその当事者だけの問題(責任)ではなくその社会全体の大きな問題(責任)です。だからこの社会で暮らす私たち全員がこの問題に対して考え、対処していかなくてはなりません。自分の子供を愛せないということ以上の不幸はあまり無いのではないでしょうか?そんな家族で育った子供が幸せに生きていくのは困難でしょうし、その虐待を受けた子供が犯罪を犯してしまうといったことは十分あるでしょう。心に傷を負った人達が社会にどんどん広がっていってしまう恐れがあると思います。
ではこの幼児虐待とその悪循環を絶つのにはどうすれば良いのでしょうか?まず挙げられることは、周りの人(地域社会)が子育てをしている家族のサポートをしてあげることです。勿論、母親を中心として父親が全面的にその妻をサポートし、自分たちの両親の助けと経験を活用していくようなしっかりとした"家族"も大切になると思います。
私たちは野に住む小鳥たちの姿を見て、子育てを大いに学ぶことができると思いますが、私たちの人間社会は例え片親であっても、若しくは両親がいなくても子供たちが幸せに成長していける社会だと思います。このような社会を創っていくためには、やはり教育の現場で教師が生徒に誠実に接し、生徒が勉強が出来るだとか、何か特別なことに優れているだとかは問わず、友達、後輩に優しいだとか、素直であるとか、親、兄弟を尊敬しているだとかという人間としての基本についていかに真剣に取り組んでいけるかが大切なのではないでしょうか?こうした教育を通して子供は重要なそして立派な社会の一員に成長していくのだと思います。