出発点

前回の記事「大切な事」では、自分や社会の「幸せ」を中心に持って、「大切な事」は何かをはっきりさて厳しい現実も希望を持って生きていくのがいいでしょう、ということを書きましたが、今回は「幸せ」を目指して生きていく出発点について私が思っていることを書こうと思います。
私たちは生きていく上で色々な問題に出会います。友達と喧嘩したり、仕事で失敗したり、人の大切なものを壊してしまったり、いじめられることもあるし、身近な人が死んでしまったりすることも当然あります。些細な問題もあればもう生きていくのも辛いと感じるものまで様々です。これらをひとくくりにして話すのはちょっと無理があるので、今日は何か失敗したりして自分が嫌になった時のことを例にして書いていこうと思います。自己嫌悪というのは自分が情けなくなったり、期待通りにできなくて自分自身に失望することです。人が生きていくのに自分が嫌いと言いうのはとても重大な問題だと思います。自分とはずっと付き合っていかなければいけないので自分が嫌いというのは人生においての一大事です。ではどうすればいいのか?先ずはどんな自分でも自分を肯定する所から始めるのがいいと思います。何がどう悪くても今の自分はそうであるからしょうがないのです。だから闇雲に自分を否定するのではなく、自分を認めてあげることが大切です。だからと言って自分はこういう人間だから悪いことをしてもいいし、失敗しても仕方がないと諦めろと言っているのではありません。素敵な人になるために(幸せになるために)、自分の欠点や失敗を反省することは大切ですが、だだ自己否定にうずもれて自暴自棄になるのはよくないということです。悪い部分を変えていくには先ずそんな自分を認めてあげることが出発点になるのではないでしょうか?今このときの悪い自分はどうあがいてもその瞬間に良くなりようはないのだから、そんな自分をしょうがないと認めてあげ、どんな自分になりたいのかということを真剣に考えて、一歩ずつ改善していくことが重要なことです。過去(現在)の自分が嫌だから悪い部分は見ないようにするのではなく、悪いところは反省し、しっかりと今の自分を肯定して見て、未来に希望を持って明るく一歩ずつ歩いていくことができればなんていいでしょうか。悪い自分から逃げていたのではいつまでたってもその悪い自分は自分と一緒です。今の自分が嫌だということに気付いたのはもはや素敵な自分になるための第一歩と言えるでしょう。そして人は悪い部分だけを持っているのではありません。いい部分もたくさんあるのです。
自己嫌悪した時のことを上で書きましたが、これは色々なことにも応用できることだと思います。環境問題もそうだと思います。テレビや新聞でよく見る環境問題はロシアの山火事であったり、メキシコ湾の原油の流出であったり、熱帯雨林の破壊や、発展途上国の貧しい人々の目を覆うような惨状であったりします。こんなニュースを見たり、環境破壊はもう最悪の事態まで進んでしまって、手遅れであるというようなことを聞いたりすると地球の未来は暗いものであるかのように思ってしまうでしょう。そして不安と怒りなどのネガティブな感情が世の中に満ちてきます。しかしこの現状をただ悲惨だ、ああひどいと嘆くだけではなく、過去を反省し、現在の地球の環境を肯定するところから始めなくてはいけないと思います。どんなに状況が悪くとも私たちはより幸せな生活を手にするために、希望を持って一歩一歩少しずつ歩いていくことが必要です。否定することから始めるのではなく肯定することから始めたいと思います。