交通事故2

 前回は野生動物の交通事故について書きましたが、人も交通事故で毎年多くの方が亡くなっています。その数を調べてみたら、ここ2,3年は毎年約5000人が交通事故によって死亡しています(毎年減少傾向にあり、1990年に1万人以上の死亡者があったのが2009年には4900人まで減っています。参照)この数字を見て多いと思うか少ないと思うかは人によって様々だと思いますが、私は非常に多いと思います。交通事故というのは自分の食生活がもとで病気になるのとは違い、降って湧いたようにやってくることがあるからです。完全な自分の不注意で車が木や壁に突撃して死んでしまうというのは別として、歩道を歩いていたら突然、居眠り、酔っ払い運転をしている車にはねられたとかいうことがよくあると思います。「車にはねられて死んだ」ということだけを見ると、車は殺人マシーンであり、その凶器が普段そこらじゅうを走っているわけです。ただしもちろん交通ルールというものがあり、その中でしっかりと注意して走っているのであればその危険性は下がるでしょう。しかし実際は車の故障もあるでしょうし、運転する人も人間なので失敗をします。
 ではなぜ私たちは車を使うのでしょうか?どうして凶器になり得る車が町の中を走るのを許していられるのでしょうか?それはやっぱり第一に車は楽で、早いし、便利だからだと思います。では便利なら人が死んでも仕方がないのでしょうか?もちろん交通事故を起こそうと思って車を運転している人はまずいないでしょう。しかし車が走ることによって毎年5000人もの命が失われているという関係は事実としてあります。
 車を使うなと私は主張したいわけではなく、この便利な車が一転すると人を殺す凶器になるということをしっかりと認識することが大切だと思います。これは車だけではありません。原発をはじめとした発電所や飛行機などの乗り物、簡単に作れるインスタント食品などは「便利」という面もありますが、一歩間違うと大惨事といったことになりかねません。インスタント食品は簡単に食べられますが、添加物をたくさん食べ過ぎて病気になります。ですから、便利だからと言って安易にそれを使うのは、自分で自分の首を絞める行為になりかねないといいうことです。
 私が言いたいことは、私たちが安心して暮らせる地域や町を創るのには「便利」ということを基準に考えるのではなくて、先ず第一に「心豊かに暮らせるか」ということを基準において考えることが必要だということです。それにしたがって決めればいいのです。子供が遊んでいる住宅街ではそもそも車の乗り入れを禁止するとか、制限速度を30km/hにするとか、歩行者優先にするとかということもできます。電車やバスなどを充実させるのも一つの対策です。便利さを追求するあまり私たちは人としての心を荒廃させてはいけません。