ドイツの里山

 里山の魅力はたくさんある。日本人の故郷の景色であり、様々な動植物と人が長年共存してきた場所でもあり、木の実や薪など生活や農業に必要なものを与えてくれる所でもある。
 私はこの里山に惹かれ、日本では里山保護の活動に何度か参加し、今はドイツで「里山」(雑木林)についての卒論を書いている。里山の何が私をそんなに惹きつけるのか?それは人と自然の関係が長い歴史の中で良い状態で保たれて来たからだと思う。人は里山から必要な木材や落ち葉(肥料用)などをもらう。このような人の活動が様々な植物や動物などに棲家を作り出す。そして切った木の切り株からはひこばえもしくは萌芽という新しい芽が伸び、再び森が再生する(萌芽林)。里山の中で、成長する分の木材の範囲内で伐採し利用していけばずっと永続的に里山を後世に残すことが出来る。(1つの切り株の生命力は限られているので、実から自然に新しく成長させるか、植えてあげなければならない。)
 ドイツにもこういった日本の里山に似た森がある。日本では農業と言えば稲作が主な穀物や野菜の栽培であるが、ドイツでは小麦などの栽培と共に牧畜が盛んである。だから牧草地が日本に比べとても多い。日本の里山が農業=水田、畑と深く結びついているように、ドイツの「里山」はドイツの農業=牧畜、畑と深い関係を持っていた。『いた』と過去形で書いたのはドイツでも現在では昔ながらの里山の利用はされなくなったので今ではこのような「里山」は見ることはほとんどできない。例えば以前は「里山」の落ち葉を家畜小屋の藁の代わりとして下にひいたり、餌として使われたり、薪などとして「里山」の木を一区画皆伐し、その区画を燃やし畑として利用し(2、3年)、その後また萌芽林が再生していき、牧畜とも組み合わせる。
 ドイツでは石油が値上がりしたことをきっかけに薪、木材チップ、木材ペレットなどを使う暖房設備が多くなってきている。これらの燃料用木材はほとんどが植林地などからの間伐材から賄われているが、いくつかの地域の古くから共有で維持してきた(日本の入会地のようなもの)萌芽林では、自分の家用の薪を現在でもこの共有林から切りだしている。さらに現在では萌芽林としてエネルギープランテーションというものもある。早く育つ広葉樹を3〜5年の間隔で大きな機械で区画ごとに伐採し、燃料用の木材を生産する。日本でも間伐材里山林のエネルギー利用が模索されていて、徐々に注目されつつある。
 その他にも里山には日本でもドイツでも、その地域特有の景観と共に文化も継承されており、それを私たちの子孫に伝えていくことが大切になってきている。昔ながらの里山の歴史的な利用がほとんど必要とされていない今、里山はあるところでは開発され、あるところでは放置されています。昔ながらの文化を子供達に伝えていくと同時に、里山の自然に調和した持続的な利用を模索していく必要があると思います。長い歴史の中で培われた里山と人の関係にこそ、私たちが目指す自然の中で調和した社会をつくるための大きなヒントがあると思います。そして私たちの生活空間に接してある里山の意義は今後さらに大きくなっていくだろう。

(里山と言う用語の定義はいろいろありますが、ここでは農村地にある農業用に使われる森(農用林)とし、それが放置されている森も含めます。この言葉を現代に甦らせたのは生態森林学者の四手井氏です。四手井氏はドイツには低林(ニーダーバルト)という薪炭林専用の林業用の森は存在するが、里山は無いと言っています。しかしドイツにはこの薪炭林専用の森以外にも、歴史的に牧畜、畑、自家用の薪と関連する「里山」が存在する(した)ので、ここでは「里山」と表現しました。)