ユネスコエコパークとは

 ユネスコエコパークとはユネスコが正式に認めた持続可能な社会を実現するためのモデル地域のことを言います。このユネスコエコパークは国立公園や自然公園などとは違い、自然の保護だけでなく、人間と自然がうまくやっていくことを目指し、持続可能な地域経済が求められています。3つの地区に分けられるのがこのユネスコエコパークの特長です。3つの地区とは、中心地区(corearea)、緩衝地区(pufferarea)、移行地区(transitionarea)です(詳細は別の項で)。今回はユネスコエコパークの歴史を追ってみようと思います。

ユネスコエコパークの誕生の歴史
 ユネスコエコパークは“人間と生物圏計画(Man and Biosphere (MAB) Programme)”というユネスコで立ち上げられたプログラムの中で生まれたモデル地域です。MAB-プログラム は1968年にパリで行われた“生物圏会議”にその端を発します。この会議は63ヶ国から出席した236人の特派員と88人の国際機関(FAO(国際連合食糧農業機関)、 WHO(世界保健機関)など)の代表者による国際会議で、ユネスコがIUCN(国際自然保護連合)とIBP(国際生物学事業計画)と共に主催したものです。この当時どんどん大きくなる地球環境問題について話し合われ、自然資源の保全とその活用について、世界中で協力しなければならないこと、そして様々な学問分野にわたって取り組んでいかなければならないことが始めて国際会議の場で言明されました。この生物圏会議の20ヶ条の決議文はユネスコに向けられて発せられ、「人間と生物圏に関する国際的な研究プログラム」を始めようと呼び掛けられました。この研究プログラムは国際的な多分野間をつなぐネットワークとして環境問題と共に社会的、経済的、文化的な視点も取り上げ、特に途上国の問題に打ち込むべきものとされました。(この時点ではまだユネスコエコパーク(生物圏保護区)は話題に上っていません。)
1970年の第16回ユネスコ総会義で“人間と生物圏(MAB)”が議題として取り上げられ、長時間にわたる激しい議論を経て、そしてユネスコ総長の強い要望もあって“人間と生物圏プログラム(MAB-Programme)”は10月23日の深夜12時5分前に誕生したのです。当初MABプログラムは多分野間にわたる研究を目指していました。しかしはっきりした実施計画と資金源が無いことが大きな悩みでした。このような状況から生物圏保護区つまりユネスコエコパークのコンセプトが取り上げられたのです。(1972年にスウェーデンストックホルムで国連人間環境会議が行われましたが、この会議の内容は“生物圏会議”に強く影響を受けたものでした。UNEP(国連環境計画)はこの会議に基づいて設立されました。)
1974年MABプログラムの特別作業チームとUNEPが会議を開き、ユネスコエコパークの設置をするためのガイドラインを作り上げました。この中でユネスコエコパークの3つの根本的な役割が示されました。つまり
保護:自然資源と生態系の保護、
ネットワーク:研究と教育のための国際ネットワークの構築、
発展:持続可能な経済、環境保護、自然保護を調和した形で達成させるためのコンセプトを発展、実践すること、
です。「地区分け(Zonierung)」についても1974に合意されました。そして1976年に初めて57ヶ所のユネスコエコパークが認定され、1981年までに58ヶ国208ヶ所のユネスコエコパークが生まれました。(2011年6月30日現在 114ヶ国580ヶ所。)
 しかし初期の段階では保護の役割が支配的でした。それはほとんどのユネスコエコパークはそれ以前から国立公園やその他の保護地区として保護されていて、ユネスコエコパークの認定によってその役割が変化しなかったからです。発展の役目は無視され、研究は学術的なものにとどまってしまいその成果はほとんど共有されることはありませんでした。

ユネスコエコパークの成長
上で書いたようにユネスコエコパーク(以下ユ・パーク)は始め既にあった国立公園をさらにユ・パークとして認定したので、保護の役割に重点が置かれ、他の役割が十分達成されないという問題を抱えていました。しかし1980年代から少しずつ改善され、保護以外の役割も的確に組み込まれていきます。1983年に初めてのユネスコエコパーク世界会議がミンスクで行われました。この会議でユ・パークの多様な機能が強調された“ユ・パークのための行動計画”が作成されました。そして1995年にはスペインのセビラで2回目のユ・パーク世界会議が開催され、“セビラ戦略”を練り上げ、ユ・パークの世界ネットワークのための“国際ガイドライン”が採択されました。ここでようやく世界ネットワークのための組織的、実践的な枠組みが整ったわけです。
これ以降、ユ・パークの認定のためには満たさなければいけない最低条件が出来ました。つまり
1、3つの地区の制定(中心−、緩衝−、移行地区)
2、3つの役割の保証(保護、ネットワーク、発展)
3、10年ごとの査定(10年ごとにユ・パークの状態が再検査される)
です。この結果多くの国では自国のユ・パークの見直しがされ、一部は改善され、一部ではリストから抹消されました。2008年にはマドリッドで第3回目のユ・パーク世界会議が開催され、2008年から2013年までの期間の優先事項とその方策を記述した“マドリッド行動計画”が作られました。2011年にドイツのドレスデンで開かれたMABのICC(国際調整理事会)では気候保護に重点が置かれた内容になりました。

 次回は3つの地区の説明をしたいと思います。